今年は10年目を迎え、ワイナリーをオープンして本格的にワイン事業に乗り出すことになりました。ここ5年ほど新植をしていなかったぶどうを今年は、メルロとシャルドネで1,000本植えました。来年度は、バッカスとシャルドネで1,000本植栽する予定です。さらに、再来年は、メルロとミュラートルガウで1,000本植栽予定です。これで農園の畑の70%はぶどう畑になります。バッカスとミュラートルガウを入れたのは、収穫期が現在、栽培している品種より早く、収穫時期が競合しないためです。メルロは、北国で熟し切るのは難しいと思われていましたが、良質のメルロが収穫できているので増殖することにしました。シャルドネも同じ理由ですが、2014年産の野生酵母のワインは、専門家の中でも絶賛され、増殖することにしました。ピノ・ノワールは、10月上旬を過ぎると富良野盆地特有の夜に冷えて、日中気温が上がるため露などの水滴と気温で灰色かび病が多発し、なかなか良質のぶどうが収穫できないので、増殖はしないことにしました。
農園のぶどうは一昨年前まで順調に生育して収量も年々、アップしていたので期待をしていましたが、今年は、つる割れ細菌病に侵されて発芽不良を多発してしまいました。昨年は、伸びるはずの収量が伸び悩み、前年比の20%減になったのも凍害などの寒さが原因と思っていました。今年もあくまでも凍害であろうとその対策を秋に向けて探していたのですが、つる割れ細菌病であることが分かり、その対策を始めました。病気の早期発見が遅れたことが病気の蔓延と大きな収量減につながってしまいました。毎日の観察を怠っていたのが原因です。農業は、作物の日々の観察が最も重要な仕事のはずでした。忙しさを理由に怠っていたのです。当然の報いといえます。この病気は、本州では発病しておらず、5年ほど前に余市町で多発して、なかなか原因がつかめず、ようやくつる割れ細菌が発見されたそうです。やはり、発芽が悪かったので、私と同じように凍害だと当初は思っていたそうです。余市では現在、回復していると知り、さっそく、余市の知り合いのぶどう農家に電話をしたところ、簡単な防除法で改善されたとのことを知り、驚かされました。それは、銅剤(ボルドー液)を6月~7月に2回散布するだけで防ぐことができたとのことでした。銅剤は硫酸銅と消石灰の混合溶液で、100年以上前から使用していた殺菌剤で、有機栽培にも使用可能なものです。
玉ねぎ専業農家の時や人参専業農家の時には、この銅剤をかなり使用していましたが、銅剤を作物に散布すると茎や葉が硬くなるので、ぶどうにはあえて使用しておりませんでした。病名が分かったのが8月でしたので一回の散布のみで終わり、来年の効果がどのようなものかははかり知ることができませんが、春の発芽前に手を打つことができないか模索中です。病原菌は、次年度に出る芽の周りに潜伏して、気温が高くなると繁殖を始めます。あらゆる方法を模索して対策を施すことができなければ、健全なぶどうとしての復活はさらに1年延びることになります。ぶどうの樹の秋の剪定は、病原菌さえ押さえることができれば、以前のようなぶどうの樹になるよう剪定をしています。芽が出ることを祈っています。
今年は、りんごの苗木を70本ほど新植しました。なぜなら、この寒い地方では、シードルが合うと思ったからです。それは、4年前、フランスのノルマンディ地方のオーベルジュなどを経営している農家を訪ねた際に、昼食で出された自家製のシードルが忘れられず、いつか栽培したいと思っていました。シードル用の原料にはプラムリーという品種が最適といわれていますが、苗木がなく、酸味が強い「紅玉」を中心に植えました。一品種だけでは、受粉しないので、受粉用に開花期が紅玉より少し早いドルゴクラブという品種も10%植えました。初収穫は5年後になります。ぶどうも苗木から育てて初収穫まで5年かかりますので同じ年月です。果樹栽培に慣れない時は、3年、5年という年月が途方もなく長く感じたのですが、最近はこのゆったりした長さを心地よく感じています。
自前のワイナリーは、昨年の2月に決定して今年の9月27日に国税庁から許可が下りるまで約1年半の準備期間を経て開設しました。申請書類は多く、いろいろな裏付けも必要とされましたが、1年半という時間があり、なんとか今年の仕込みまで間に合いました。製造免許には、国税庁のほかに保健所の許可も必要となります。タンクやプレス機などは、フランスなどからの輸入ですので最低半年前に発注しなければなりませんでした。現地での保健所の検査、国税庁の検査と続き、タンク容量の検査が終わって初めて仕込むことができます。農園のぶどうは、先述したとおり、収量が激減したので仕込みは短時間で終わり、野生酵母での発酵とハードルは高かったのですが、山梨県勝沼から醸造家を招いて仕込みの指導していただき、その後は、毎日、成分分析をして、結果を送付して指導を仰ぎました。また、昨年まで委託製造していただいたブルース・ガットラヴ氏にも都度、アドバイスをいただき進めた結果、多田農園製造の野生酵母ワインができました。現在は、タンクで熟成中です。また、今年は自前の原料が少なかったので、ナイヤガラとキャンベルを買い入れて野生酵母でテスト醸造しました。年を開けて1月にはリンゴを仕込んでシードルを造る予定です。リンゴは、培養酵母で確実に発酵させて、雑菌対策も念入りに行って、慎重に進めるため準備をしています。菌の世界は誠に不思議な世界です。今年の農園で収穫されたぶどうは、酵母も100%農園産ですのでまさにすべて多田農園産のワインになります。来年の10月頃には、販売ができるのではと思っています
多田ワイナリーは、北海道で33番目のワイナリーだそうです。近年、国産ワインブームがきており、余市町などではワイン特区として小規模でもワイン造りができるようになり、増加が著しいようです。また、企業がワイン事業に参入するケースも増えています。ここ富良野盆地内にも今年、2社がぶどうの苗木を植えて、将来、ワイナリーを開く計画のようです。
私がぶどうを植えたきっかけは、2010年わたしの農業でも書いたとおり、偶然の連続のなかでのぶどう作りでした。その後、障がいをもった人たちに働く場としてぶどう畑が最適であるという確信のもと、働く場の提供を第一目的として増殖をしてきました。そのような中、収穫量も増え、ワインの評価も徐々に上がり、取扱店も道内外に広がり、多田農園のワインの知名度もアップし、今年、10年目を迎え、玉ねぎ貯蔵庫として30年余り、人参選果場として20年余り使用したブロック造りの53坪の建物を改築してワイナリーとして再々出発しました。
農園内の地盤は、扇状地の中にあり大変、安定しており50年を経た現在、基礎も狂うことなく、しっかりとした建物です。この10年間でワインに関する人脈もでき、今回のワイナリー開設とワイン造りには、多くの方々のご支援をいただきました。特に、地元ふらのワインさんから全面的な支援の申し出をいただいたことは精神的な支えにもなりました。ふらのワインは十勝ワインに続き、自治体で運営するワイナリーとして40年以上の歴史があります。近くに相談できるワイナリーがあることは、うれしい限りです。
私の願いは、多田ワイナリーを地域のワイナリーとして育て上げることです。そして、地域の農家がヴィンヤードやワイナリーとして挑戦をしてこの地域でワインツーリズムを完結できるような多くの農家が参加するワインの町となることを夢に描いています。当然、長い時間がかかる運動です。ワイン自体が長い時間かかるものですので、ゆっくり、じっくり熟成の時を経て地に足がついた持続性の高い取り組みができればと願っています。ワイン事業は、自分の時代のみならず、次世代に引き継ぎ発展することができる事業だと思っています。多田ワイナリーは、まだ、緒に就いたばかりですが、ワインの熟成のごとくゆっくりと成果が上がるように進めていきたいと思っています。