わたしの農業 2017         
                                  多田 繁夫 

今年は、ワインで始まり、ワインで終わった年でした。昨年のぶどう栽培で大打撃を受けた後遺症がワイナリーの開設に大きく影響し、新聞雑誌などの取材の申し入れも保留にしていただいておりました。農業一筋に40数年歩んできた者にとってぶどう栽培でつまずくことは屈辱的でもありました。多田ワイナリーは、農家ワイナリーなのでぶどう栽培が基本です。果樹栽培は、まだ10年ですが栽培技術の習得に熱心だったかというと決してそうだとも言えません。野菜と樹との違いが先入観として樹は強いとの思いがありました。
ワイン用専用種は、大変、デリケートなぶどうが多く、一度、つまずくと回復させるのは並大抵ではありません。場合によっては改植しなければならないこともあります。昨年、大ダメージを受けたぶどうの樹は、今年は6割程度まで回復しました。ワインの製造も自社ぶどうだけでは、まだ足りず余市から買いぶどうをして仕込みました。また、洋ナシのワインも農園内にある樹齢100年ほどの千両梨も入れて造り、販売を始めることができました。
今年はなんとか最低製造量の6,000リットルをクリアできそうです。ワイナリーは2年目で要領もかなり良くなってきました。委託製造時代と違ってワイナリーをもつ意味とワインに対する責任の重みをひしひしと感じています。ワインの製造は、農園に6年半前に入社した菅井が担当しています。彼は、ワイン造りを他のワイナリーで十分に経験したわけではありません。ワインの委託製造先ワイナリーで数年間仕込み時期を中心に経験したにすぎません。
東京農業大学醸造学科を卒業してはおりますが、ワイン造りの実践経験が足りない条件のなかで、スタートしたわけです。そのようななかでしたので、作業工程などその都度、最終判断は私がすることにしました。私も同じように委託製造先ワイナリーでの経験しか持ち合わせていませんが、失敗の責任を彼に取らすわわけにはいきませんので、重要なすべての判断を私がすることによって失敗の責任が私に来るようにしました。いずれにしても重要な判断は二人で話し合い決定して進めており、まさに二人三脚で2回目の仕込みも無事終えて一次発酵が終わり現在、二次発酵するところです。
それにしても人生とは不思議なものだとつくづく感じています。7年前には、二人の同年齢の従業員がいました。一人は、半年早く農園の従業員として働いており、もう一人は現在、正社員としてワイン製造責任者をしています。先に従業員として働いていた一人は、6年前に、ふらのワインの臨時職員としてかなりの倍率のなか合格となり、その後、頑張って準職員待遇になりました。先日、ふらのワイナリーへ行った折、彼に少し案内してもらいましたが、ふらのワイン製造の重要な立場にあることがうかがえました。二人の成長した姿を同時に見て、感慨深いものが湧き上がってくるのを覚えました。
ふらのワインはまもなく40年を経過しようとしています。かたや多田ワイナリーはできたばかり。しかし、この小さな地域に小さいとはいえワイナリーが誕生したことは、あらゆる面で影響が大きいのではと思っています。この地でもピノ・ノワールやシャルドネができることが実証され、にわかに注目されようとしています。現に再来年春には、山梨のワイナリーが隣町中富良野町にワイナリーを立ち上げると新聞発表がありました。また、同じ上富良野で十勝の会社がぶどう栽培を始めました。さらに、昨年水害による大災害が発生した南富良野町でぶどう栽培の話が聞こえてきています。もし、それぞれが実現したなら、上富良野、中富良野、富良野市、南富良野と4市町村に5か所のワイナリーが存在することになります。これは、これまで「北の国から」やラベンダーに多くを支えられていた観光が新たな観光へと脱皮する日が訪れる可能性を秘めているようにも思えます。
南富良野町から上富良野町まで約50qがワイナリーで結ばれる日がおとずれるかもしれません。11年前、アメリカのナパバレーを慣れないレンタカーで訪ね歩いたことがありました。南から北まで車で約1時間位の距離ではなかったかと記憶しています。そこは、すべてがぶどう畑とそれに付随するワイナリーで埋め尽くされていました。ふと重ね合わせてしまいました。その他、芽室町(十勝)の農園がワイナリーを予定しているようで、さらに弟子屈町(道東の川湯温泉)は町が、北見市・名寄市では農家がワイナリーの動きがあります。これからは、益々、質の高いワインが求められるようになってくることは必然です。そのためには、原料であるぶどう栽培に力を入れなければなりません。
私は、農業に従事してなんと47年経ちました。職人さんだったら名人の域の世界です。これだけ続けてきても、いまだに作物づくりは苦手です。人生とは皮肉なものなで、苦手な作物づくりにずーと関わってきました。しかし、長く続けていると世の中も変わってきて、農業は作物を育てたり、家畜を飼ったりするだけではなく、それを加工、販売したり、さらには農業や農村の生活を都市や消費者の皆さんに理解していただく仕事も求められてきました。農家民宿や農業体験などが盛んになってきたのもここ10年の動きです。さらに、障がい者のみなさんが農業の世界で仕事をする農福連携などということばが言われるようになったのは最近のことです。私の小さな農園では、これらすべてを取り入れて農業を営んでいます。
これも不思議な話なのですが、多田農園は農産物の生産だけやっていたならばどのような賞にもめぐり合うことはなかっただろうに、3年前には、都市と農村の交流などで、コープさっぽろ農業賞の札幌市長賞をいただきました。今年は、同じ農業賞の北海道農業貢献賞を、その間、旭川信金の地域奨励賞、国土交通省北海道開発局のわが村は美しく北海道運動優秀賞などをいただきました。賞には無縁だと思っていただけに、このような賞をいただく縁に驚きと感謝をしています。人間何かに取柄はあるものだと思う日々です。どんなことでも、必要とされる何かがあることを学ばされました。
私が代表をして5年ほど前に立ち上げた「かみふらの軽トラ市」を、今年の4月から30代のメンバーを中心に役員を一新させていただきました。夫婦で頑張っている方々を含め7人の優秀なメンバーです。会員は、20代が1人、30代が7人、40代が2人、50台が1人、あとは、60代が6人です。親子ほどの年の差の男女が生産した農産物を直売する同じ目的で活動をしています。私は、当初、これだけの年齢差があり男女入り混じっての会がうまく機能するとは、思っていませんでした。このメンバーでいつまで続くのかとの不安が大きかったのを覚えています。どのような方向にもっていくか模索を続けながらの船出でした。若い年代の対応もどのように対応すべきか常に迷いながらの取り組みでした。しかし、きめ細かな打合せを行いながら、それぞれの意見を尊重して、親睦も深めて積み重ねていくうちに会員のみなさんがそれぞれの立場を尊重するようになり、年齢や性別を超えてお互いを理解し合える関係に成長していったように思えました。3年目から地元スーパーに設けた直売コーナーの売り上げも会員みんなの努力により毎年25%程度アップしています。 チームワークが成長を促したともいえると思っています。本当にうれしいことです。
今年の農園の取り組みについてもう少し詳しく述べたいと思います。農家民宿は、相変らず静かな伸びを示しています。今年のお客様の特徴は、ワイン好きの方が少し増えてきたことです。チェックイン時にワインを買い求めて飲まれる方やチェックアウト時におみやげとして購入される方が増えてきました。やはり、ワイナリー効果なのでしょうか。ぶどう畑とワイナリーがある場所で、泊まってワインを楽しめるところは、全国でも数少ないようです。今までは、部屋で飲んでいただくか、バーベキューをしながら飲んでいただくしかありませんでしたが、2018年は、農園内にあるファームカフェ「イルベーベ」のデッキを解放しようと考えています。農園の宿泊施設などは、使用していた建物を改築しながらつくってきたものですが、100年以上の農園の歴史のなかで苦楽をともにして歩んできた建物です。滞在していただいたお客様にも、この歴史を知らず知らずのうちに感じて頂き、決して豪華で立派な施設ではありませんが、温かみのある時間を過ごしていただけるよう努力したいと考えています。
次にソーシャルファームについて述べたいと思います。ソーシャルファームを知ったのは7年ほど前の日本農業新聞の社説にソーシャルファームの話が掲載されたのを目にしたからです。私は10年ほど前から東神楽町(旭川空港がある町)にある障がい者施設「ゆいゆい」の施設利用者とスタッフを毎年秋、農園に体験や昼食で招待していました。なぜ招待していたかといいますと、私の甥が重度の自閉症でこの施設にもお世話になっていたからです。そこでお世話になっている施設のみなさんの招待を始めたわけです。私は、それまで障がいをもった人たちと身近に接することがなかったので、甥が障がい者として普通だと思っていました。そんな認識しかなかったわけですが、招待してかなり軽度な人がいることに当時は驚かされました。そのなかの一人の「こんな農園で仕事をしてみたいなあ」という一言が、私のこころに残りました。その時は、とっさに「では、働く場所をつくりましょうね」と言っておりました。その子の一言が、ぶどうの栽培、ワイン造りと繋がっていくことになります。
2007年に初めてピノ・ノワールを植えて3年後、初収穫を迎えました。見事に良質なピノ・ノワールを収穫することができました。そして、つぎに増殖をすべきか否かで迷っていました。増殖するということはワイナリーも視野に入れて行うことを意味していたからです。野菜作り農家がアルコールづくりをするということは、その整合性で気持ちの整理がつきませんでした。そのように思いを巡らしているうちに、障がい者への働く場としてぶどう畑は最適ではないかと思うようになりました。それは、私たちがぶどう畑で作業してみて癒されることが多々あったからです。健常者でそのように感じるなら障がい者ならもっといいのではないかと。そこで、障がい者の働く場の提供で増殖するのであれば、迷いなく増やすことができると思ったのです。そうしているうちに収穫量も増え続け、それに伴い委託製造ワインの本数も増え、自然の流れの中で昨年のワイナリー開設へと繋がっていったのです。
現在は、就労支援A型とB型の利用者のみなさんが仕事に来ております。今後、益々、ぶどう畑の面積が増え続けることになり、働く場の提供も本格的になってくる可能性があります。ソーシャルファームとしての本来の意味に沿った取り組みができるよう一歩一歩前進したいと思っています。

注:ソーシャルファームとは、40年以上前に北イタリアで始まった労働市場で弱い立場の人たちを雇用して自活できるようにする運動です。ファームは農場の意味ではなく企業(Firm)の意味です。

2017.12.26
多田繁夫